きらきらブログ🌟

楽しいこと、辛いこと、しょうもないこと ブログにした

今何時ですか。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

夢に今でも出てくる。10月の何日のことだったか。

「今何時ですか。」

と聞かれたあの日。

この質問に答えることができな日が来るなんて。

 

 

わたしは手術室看護師をしている。...いや正確に言えば、していた。今は休職して心を休めている。これがきっかけというわけではないが、このような出来事がたまりにたまり、休職に至ったのかもしれないと今になれば思う。

もともと手術室看護師は学生の頃から希望していた。患者さんの手術という不安を一番サポートできると心から信じて。

 

 

あんなに志高く入職したのにもかかわらずわたしは、患者を段々「モノ」として扱ってしまった。他の方はイメージしにくいと思うが、手術は基本、良くないものを安全に取るという作業が多い(そして代わりになる人工物を入れることも多い)それは命に関わり絶対に失敗できない。医師が手術するが手術室看護師も命に直結することをたくさんする。

 

渡すものを間違え、誤って医師が使用すれば死ぬ

薬剤を間違えたら死ぬ

渡すものが遅かったら、患者の負担になり死ぬ

一つしかないものを落としたら手術ができなくなって患者が死ぬ

他にもたくさん間違えたら死ぬルートが待ってる。

 

 

 

 

いつも死ぬことと隣り合わせの職業。

職場のメンバー全員がずっと緊張感ある状態で仕事をしている。

学生の頃のわたしは理解していたが、きっとしっかりとは理解してなかった。

 

 

その結果、1年目初期のわたしはその死ぬが怖くて怖くてたまらないからいつのまにか患者をモノとして扱うことで心を安定させた。

 

前日が長い手術で、残業。それでも明日も手術。勉強しないといけない。勉強しないと患者が死ぬ。

そう思うと辛くなり、わたしは患者をモノとして扱うことで心を安定させた。

そうすれば、何より怖くなかった。

手術中の患者が女か男かそれもわからないことも正直あった。カルテを見ればわかるけどそうすることで患者の中に入り込み自分へのプレッシャーになってしまう気持ちもあった。

今思えば最低だ。

でもそうしないとわたしは働くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、

すごく自分の体調が悪かった。

生理だし、なんだかムカムカするし、寝起き悪いし、満員電車だし。

ある手術で、わたしは初めて手術停止の患者を担当した。

しかし手術をしているとあまりにも患者の状態が良くなく、手術では助からないため中止することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはああ、今日は調子が悪いし、しんどかったし、ラッキー。はやく帰ることできそう。

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

最低。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻酔から覚めた患者の最初の言葉は

「今何時ですか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは答えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術がきちんと行われていたら5時間ぐらいかかる。しかし今は手術して1時間と少し。

ぼんやりと患者はわかって聞いているんだ。

つまり、手術は予定通り行われたのか聞いている。ということ。

この事実を伝えることがわたしにはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜかって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この患者の手術への気持ちや考え方。経緯も知らない。何も知らないから。

怖くて言えなかった。

 

医師は後で説明するね。と患者に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは最後まで患者に何も言えなかった。

言う資格がなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは落ち込んだ。

今まで何をしてきたんだろう。

 

 

わたしは最低だ。

 

 

 

次から患者のことをくまなくカルテから調べるようになった。

なぜこの経緯にいたったのか、どうしてこの術式のか。病棟には忙しくて行けないけれど、どんな気持ちなのか想像したりした。

 

あの患者さんから半年間。

ずっとこれをやり続けた。できる限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果 2年目のある日、適応障害になった。

病院に行けなくなった。怖くなって。

ああ、もう勉強しなくていい、患者の命を預からなくていい。そう思うと涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術の流れだけじゃない。疾患も気持ちもすべてすべて勉強しようとした。

毎日5時間ぐらいは勉強した。

休日は10時間は勉強した。

先輩や医師からはすごく褒められた。

褒められることで、でも何も思わなかった。

患者から何も言われたことはなかったけど

 

もしかしたらきちんと勉強したら患者のためになるのかも、そしたら...

 

そう思うようになってから

勉強し続けないと気が済まなかった。

そうすれば何か変わるかなって。

また、聞かれたらなんで答えようかと。そう思って。

 

学生の頃よりずっとずっと勉強した。

家族はすごく心配した。友達にもやりすぎだよって。でも患者さんは?どうするの?

もっと患者さんは辛いよ?

 

 

 

コロナもあってどこにも行けなかったからなのか年末年始も。

土日休んだのはいつが最後だったかな。

 

今何時ですか。

 

どう答えればよかったのかな。

今もわからない。

 

 

適応障害になってしまったけど、

今、あの患者さんに言いたい。

 

 

 

 

ありがとう

 

 

 

 

あの手術がなければ何も思わず仕事することはきっとできた。今も病気にならずに。看護師続けることができていたと思う。

けれど、そのわたしはいまだに患者をモノとして扱うと思う。

そうじゃないとわたしはできないから。

 

 

 

怖いから。

 

 

 

先輩や同期、後輩にはできるのかもしれない。でもわたしにはただただできなかった。

 

今何時ですか。

 

今のわたしならなんで答えるかな。

答えられるかな。

勉強しても残念だけどわからなかったな。

 

 

 

向いてない仕事なんかないよ。

 

 

 

 

先輩に言われた。でもわたしはあると思うな。

わたしには怖くてできないや。

 

 

 

 

考えることが看護だよ。

 

 

 

 

考えてもわからないよ。

わからない。

どうすればよかったのかな。

 

あなたならなんで答えますか?

 

 

 

今何時ですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

✨このブログを読んでくれてありがとうございます。休職して少したち、気持ちが落ち着いたので書いてみました。

次何をするのか決めかねていて気持ちを表現したくブログを書いてみました。あとあの患者さんへの感謝の気持ちも添えて❤️

最初は看護師を続けることができない自分が不甲斐なく涙ばかりの毎日でした。今もたまにありますが、この日のことは忘れません。

このことばかりで適応障害になったわけではありませんが、あの日がターニングポイントだったのは間違いないと思います。

わたしは残念ながら患者のことを思いつつ、自分を管理して看護はできないタイプでした。できる人が本当に羨ましいです。しかしそれに気づけてよかったと思っています。人には向き不向きがあります。きっと。

ここまで考えることがわたしの良いところでありそしてすごく悪いところなのだと思います。

このように書くことができて、見る人がたとえ1人だとしてもいいです。ああ、こう考える人もいるんだなあと思ってほしい。

 

そして、今適応障害で苦しんでいる人へ。

大丈夫です。きっときっと大丈夫な日はきます。一緒に少しずつ3歩進んで2は下がりましょう。明ない夜はない!!!!!!大丈夫!!!!!!

わたしも少しずつ自分が楽しむことを取り戻しています。今はすることすること1つ1つがすごくハードルが高いですが、楽しむことを意識して生きましょう。消えて砂になりたい日もありますよね。砂になってもきっと悩みは消えないです。人間の姿でどうせなら悩みを少しでも良い方向に向けましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来のわたしへ。

きっと、この答えを導き出せる日がきます。

それまで生きます。約束。