きらきらブログ🌟

楽しいこと、辛いこと、しょうもないこと ブログにした

考えることは素敵なこと

こんにちは。

 

適応障害になって、毎日考えることがたくさんになりました。たくさん。たくさん。

最初はすごくその考える作業が怖くて嫌でしたが今では好きになりつつあります。

 

考えるということは、考えるということは、新たな発見に気づくこと。それは素敵なことですね。

 

素敵です。本当に。

 

考える時間がなくなるともう、人間である必要はないですよね。

 

 

暑い日が続いてますが、元気に生きます!!

歯磨きのようにブログを

こんにちは!

 

 

昨日の記事を割とたくさんの人に見ていただいて凄く嬉しいです😊

このような企画?に参加するのは楽しいので、また書けそうな内容があれば書いてみようと思います!!

 

この頃は天気も良くて気分も安定しています😊

よかった〜✨

 

 

また歯磨きのようにブログを習慣化できるように頑張ります。

 

 

 

今何時ですか。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

夢に今でも出てくる。10月の何日のことだったか。

「今何時ですか。」

と聞かれたあの日。

この質問に答えることができな日が来るなんて。

 

 

わたしは手術室看護師をしている。...いや正確に言えば、していた。今は休職して心を休めている。これがきっかけというわけではないが、このような出来事がたまりにたまり、休職に至ったのかもしれないと今になれば思う。

もともと手術室看護師は学生の頃から希望していた。患者さんの手術という不安を一番サポートできると心から信じて。

 

 

あんなに志高く入職したのにもかかわらずわたしは、患者を段々「モノ」として扱ってしまった。他の方はイメージしにくいと思うが、手術は基本、良くないものを安全に取るという作業が多い(そして代わりになる人工物を入れることも多い)それは命に関わり絶対に失敗できない。医師が手術するが手術室看護師も命に直結することをたくさんする。

 

渡すものを間違え、誤って医師が使用すれば死ぬ

薬剤を間違えたら死ぬ

渡すものが遅かったら、患者の負担になり死ぬ

一つしかないものを落としたら手術ができなくなって患者が死ぬ

他にもたくさん間違えたら死ぬルートが待ってる。

 

 

 

 

いつも死ぬことと隣り合わせの職業。

職場のメンバー全員がずっと緊張感ある状態で仕事をしている。

学生の頃のわたしは理解していたが、きっとしっかりとは理解してなかった。

 

 

その結果、1年目初期のわたしはその死ぬが怖くて怖くてたまらないからいつのまにか患者をモノとして扱うことで心を安定させた。

 

前日が長い手術で、残業。それでも明日も手術。勉強しないといけない。勉強しないと患者が死ぬ。

そう思うと辛くなり、わたしは患者をモノとして扱うことで心を安定させた。

そうすれば、何より怖くなかった。

手術中の患者が女か男かそれもわからないことも正直あった。カルテを見ればわかるけどそうすることで患者の中に入り込み自分へのプレッシャーになってしまう気持ちもあった。

今思えば最低だ。

でもそうしないとわたしは働くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、

すごく自分の体調が悪かった。

生理だし、なんだかムカムカするし、寝起き悪いし、満員電車だし。

ある手術で、わたしは初めて手術停止の患者を担当した。

しかし手術をしているとあまりにも患者の状態が良くなく、手術では助からないため中止することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはああ、今日は調子が悪いし、しんどかったし、ラッキー。はやく帰ることできそう。

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

最低。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻酔から覚めた患者の最初の言葉は

「今何時ですか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは答えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術がきちんと行われていたら5時間ぐらいかかる。しかし今は手術して1時間と少し。

ぼんやりと患者はわかって聞いているんだ。

つまり、手術は予定通り行われたのか聞いている。ということ。

この事実を伝えることがわたしにはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜかって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この患者の手術への気持ちや考え方。経緯も知らない。何も知らないから。

怖くて言えなかった。

 

医師は後で説明するね。と患者に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは最後まで患者に何も言えなかった。

言う資格がなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは落ち込んだ。

今まで何をしてきたんだろう。

 

 

わたしは最低だ。

 

 

 

次から患者のことをくまなくカルテから調べるようになった。

なぜこの経緯にいたったのか、どうしてこの術式のか。病棟には忙しくて行けないけれど、どんな気持ちなのか想像したりした。

 

あの患者さんから半年間。

ずっとこれをやり続けた。できる限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果 2年目のある日、適応障害になった。

病院に行けなくなった。怖くなって。

ああ、もう勉強しなくていい、患者の命を預からなくていい。そう思うと涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術の流れだけじゃない。疾患も気持ちもすべてすべて勉強しようとした。

毎日5時間ぐらいは勉強した。

休日は10時間は勉強した。

先輩や医師からはすごく褒められた。

褒められることで、でも何も思わなかった。

患者から何も言われたことはなかったけど

 

もしかしたらきちんと勉強したら患者のためになるのかも、そしたら...

 

そう思うようになってから

勉強し続けないと気が済まなかった。

そうすれば何か変わるかなって。

また、聞かれたらなんで答えようかと。そう思って。

 

学生の頃よりずっとずっと勉強した。

家族はすごく心配した。友達にもやりすぎだよって。でも患者さんは?どうするの?

もっと患者さんは辛いよ?

 

 

 

コロナもあってどこにも行けなかったからなのか年末年始も。

土日休んだのはいつが最後だったかな。

 

今何時ですか。

 

どう答えればよかったのかな。

今もわからない。

 

 

適応障害になってしまったけど、

今、あの患者さんに言いたい。

 

 

 

 

ありがとう

 

 

 

 

あの手術がなければ何も思わず仕事することはきっとできた。今も病気にならずに。看護師続けることができていたと思う。

けれど、そのわたしはいまだに患者をモノとして扱うと思う。

そうじゃないとわたしはできないから。

 

 

 

怖いから。

 

 

 

先輩や同期、後輩にはできるのかもしれない。でもわたしにはただただできなかった。

 

今何時ですか。

 

今のわたしならなんで答えるかな。

答えられるかな。

勉強しても残念だけどわからなかったな。

 

 

 

向いてない仕事なんかないよ。

 

 

 

 

先輩に言われた。でもわたしはあると思うな。

わたしには怖くてできないや。

 

 

 

 

考えることが看護だよ。

 

 

 

 

考えてもわからないよ。

わからない。

どうすればよかったのかな。

 

あなたならなんで答えますか?

 

 

 

今何時ですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

✨このブログを読んでくれてありがとうございます。休職して少したち、気持ちが落ち着いたので書いてみました。

次何をするのか決めかねていて気持ちを表現したくブログを書いてみました。あとあの患者さんへの感謝の気持ちも添えて❤️

最初は看護師を続けることができない自分が不甲斐なく涙ばかりの毎日でした。今もたまにありますが、この日のことは忘れません。

このことばかりで適応障害になったわけではありませんが、あの日がターニングポイントだったのは間違いないと思います。

わたしは残念ながら患者のことを思いつつ、自分を管理して看護はできないタイプでした。できる人が本当に羨ましいです。しかしそれに気づけてよかったと思っています。人には向き不向きがあります。きっと。

ここまで考えることがわたしの良いところでありそしてすごく悪いところなのだと思います。

このように書くことができて、見る人がたとえ1人だとしてもいいです。ああ、こう考える人もいるんだなあと思ってほしい。

 

そして、今適応障害で苦しんでいる人へ。

大丈夫です。きっときっと大丈夫な日はきます。一緒に少しずつ3歩進んで2は下がりましょう。明ない夜はない!!!!!!大丈夫!!!!!!

わたしも少しずつ自分が楽しむことを取り戻しています。今はすることすること1つ1つがすごくハードルが高いですが、楽しむことを意識して生きましょう。消えて砂になりたい日もありますよね。砂になってもきっと悩みは消えないです。人間の姿でどうせなら悩みを少しでも良い方向に向けましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来のわたしへ。

きっと、この答えを導き出せる日がきます。

それまで生きます。約束。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できることを増やしてく!

こんにちは。

 

今日はとある体験をしてきました!

陶芸です。

 

なぜしたかというと、できない自分を何かできる自分になりたかったからです。何もできないと思っていたけど、陶芸は先生から今後、教室に入らないか誘われたぐらいセンスありでした✨

お世辞かもしれないけど、周りの人には言ってなかったので少し嬉しくなりました😊

 

コップ二つを作りました。青と緑みたいなので!と色をお願いしてきました😊楽しみだ〜🌸

 

 

適応障害になってできない自分が嫌で嫌で仕方なかったけど、何かできた!と思うことができて幸せになりました。嬉しい😊楽しかった!!

 

1人で何かできたという体験はもしかしたらすごく大事なのかも😊と。できることを増やしていこー!!

ナンプレしたかったので、やってみようかなあなんて、思ったりしてます!!楽しみ。

 

できることを増やして、自信を持つことが大事なんだと学びました😊今度は何しよかな〜✨

 

 

働いていた時はほんとに何もできない気持ちが消えない日々でした。できてなくて怒られるのループで、毎日新しいことばかりで、勉強しても身にならず。という感じ。

だから、他人から褒められることも久々でとても嬉しかった😊るんるん

 

 

今日はいい一日💮

5つの輝く坂

乃木坂46の5期応募がはじまりましたね。

 

いつも新しい期の子が入ってくるだけで乃木坂46の風向きが変わる感じがしてとてもワクワクします。未完成の三角が次第に三角になる素敵だ、、、だと思いながら広告を見てました。

 

新たな乃木坂46を見ることができるのがとてもとても楽しみです。

後、メンバーの新たな面を見ることができるのも新しい期の子が入ることの醍醐味だとわたしは思います。

齋藤飛鳥ちゃんの遠藤さくらちゃんへの扱いはきっと飛鳥ちゃんが生駒ちゃんやまいやんからしてもらったとなんだろうなと思うと胸が熱くなります。乃木坂46の連鎖を見ることができると好きでよかったと改めて思います。

 

飛鳥ちゃんのさくらちゃんへの扱いを見て、今度は、センター経験のある山下美月ちゃんが今度お姉さん姉さんしてくれる姿を個人的には見たいな、、、なんて思います。

 

勝手な考察なのですが一期下の子ってどうしてもいい意味でライバル視してしまうのかなって思います。自分が1番下の期でない事や自分の位置が定ってない時に入ってくることが多いからです。

美月ちゃんは3期生で次の子は5期生。美月ちゃんの妹ポジがいると嬉しいなあなんて思います。美月ちゃんは一度お休みしていた時代があり、痛みを乗り越え、今の凛としたあざと可愛い美月ちゃんがいると思います。そんな素敵な子のお姉ちゃんお姉ちゃんしている美月ちゃんが見たいです😊

 

ああ、楽しみだなあ。死ねないよ!!😊

 

 

 

悪いのは環境だけ

こんにちは

 

 

適応障害になってしまったお話はしたと思うのですが、今までずっと

適応障害になった理由として

①環境などの外的要因

②性格などの内的要因

 

があると思っていました。しかし、

違うのかも?と思いはじめました。

 

①だけのパターンが本当は多いのでは?

というか①を変えれば治りますよね?

 

なんだか自分が悪い悪いと思ってばかりでしたが、環境が悪かったのに、なぜ自分が悪かったと思わないといけないのか意味がわかりません。

 

なんだ、と気持ちが軽くなりました😊

何だか明るい気分♪

この気分を続けられるようがんばりますね!